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立街道の由来 12月25日放送
 昭和46年の土地改良の前までは、片山北の杭瀬川にかかる更田橋から田畑地内を北に向って小牛まで、幅9尺(約2.7m)の道路がありました。
 この街道は後光厳天皇、二条良基公が通られたことで敬って『立街道』と呼ぶようになったのです。
 また蓮如上人、教如上人も通られたのですが、4人とも願いをめでたく成就することが出来たのです。
 今は新しい道になりましたが、始点の更田橋と終点の小牛の交差点は、ほとんど変わっていません。みなさんも願いをこめて、いにしえを偲び、立街道を歩いてみませんか?
 
 案内人‥観光ボランティアガイド 牧村文男さん
本郷の神明神社


12月11日放送

 本郷の神明神社の拝殿は、今年9月に竣工したばかりです。
昔、景行天皇がこの地方に狩に見えた時、天候が悪く獲物もなく食糧が尽き困っておられました。その時この土地の穂守(すいのかみ)は米、あわ、ひえなどの穀物を舂(つ)いて差し上げました。お喜びになった天皇から、褒美に「舂米(ついしね)」の姓と、末娘の「弟媛(ていえん)」をいただき夫婦になりました。この二人はとても働き者で、田畑を開墾して米作りをしたのが本郷の始まりです。
 その後仁和4(888)年夏、日照りに困った舂米宿弥から18代目の祐実(ゆうざね)は、山で水源を求め池を掘り、樋を埋め、水を流した結果、土地が潤うようになりました。
村人はおおいに喜び、舂米宿弥(ついしねすくね)を祭神として祀ったのが舂米神社・神明神社です。

 場所‥本郷駅西200メートル

 案内人‥観光ボランティアガイド 遠藤喜代子さん
 
土岐一族 その1・2


11月13日・27日放送

 池田町願成寺にある禅蔵寺には土岐氏のお墓があり、今も子孫の土岐さんが住職をされています。
 鎌倉時代から室町時代の前まで200年余り守護として美濃の国を支配した名家です。1代目の頼貞から、5代目守護になる頼忠が本郷城を建てて住み、禅蔵寺を建立しています。頼忠は文武に優れた武将で鷹の絵が上手く、今も文化財として残っています。 また「土岐中興の祖」とも言われ、軍事も民政も司る国守でした。
 その後、戦国時代の荒波に土岐氏も巻き込まれ最後の11代目は、斉藤道三に滅ぼされることになるのです。
 池田町が一番栄華を極めたのが土岐氏の時代といえるでしょう。

 場所‥願成寺にある禅蔵寺

 案内人‥観光ボランティアガイド 窪田弘子さん
愛の村を創った人


10月23日放送

 渡辺むら(明治3年生)は、岐阜師範学校を卒業し、揖斐郡第1号の女性教師となり、生徒に慕われました。
 その後沓井の医師と結婚し退職、7男2女の子福物になったものの、37歳で夫が死別、遺言を守り子どもの教育に全力を注ぎました。その頃社会への謝恩報謝の理念を説く中山みきがひろめた天理教の教理に共鳴し入信、感謝と奉仕を実践する多くの人と共に信仰を高め、郷里の人にも勧めようと宮地に戻り「愛の村」と名付け、布教と奉仕作業に尽くしました。その後神事のみの「天理教宮地分教会」として今に至っています。
 
 場所‥宮地北の天理教宮地分教会

 案内人‥観光ボランティアガイド 国枝浩さん
六部と巡礼街道
10月9日放送
 
 巡礼街道には、白装束の巡礼者の他に六部さんも往来されました。諸国の寺院を巡り歩き、行者として編み笠をかぶりつづら作りの箱を背負い、書写した法華経を全国66ヶ所の霊場に一部ずつ納める目的で修行されたのが六部さんです。
 街道沿いには道標の他に、八幡のちちくれ地蔵の前に宥峯さんの供養塔が建ち、また六之井東川のそばには、ここで行き倒れた巡礼者やなさんの持参の金で石橋を造りその供養塔が建っています。
 
 場所‥六之井湊跡の石灯籠の隣、やなさんの供養塔

 案内人‥観光ボランティアガイド 山本仁司さん 

観光ボランティアガイド連絡先
池田町役場産業課商工観光係  TEL 0585−45−3111 (内線 293・294)
                     E-mail yakuba@town.ikeda.gifu.jp
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