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金生山![]() |
‥6月26日放送 池田町の南方に見える金生山は、東側の山肌部分が大きく削り取られています。山頂には明星輪寺「こくぞう」さんがあります。 この山は、ほとんどが石灰岩で成り立っています。金生山の石灰岩は全部で約4億トンともいわれ、その成分は約60%のカルシウムを含む良質なものとされています。数億年前、金生山は海底火山であったが、地殻変動の繰り返しで現在の山になったのです。今も海底生物の化石が見つかっています。 以前の石灰石を掘り出す作業は、ダイナマイトで爆発させて山をくずす方式で危険と隣り合わせでしたが、今はベンチカット方式で、山の上から道を付けながら重機で掘り出し、ダンプカーで運びます。今後の金生山の周辺の変り行く風景を見ていきたいと思います。 場所‥池田町市橋国道417号線から南西方向 案内人‥観光ボランティアガイド 山本仁司さん |
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十三塚と国枝氏![]() |
‥6月12日放送 揖斐川町谷汲にある十三塚には、池田町本郷城主の国枝大和守にまつわる話が残っています。 国枝正利が城台山城主の揖斐五郎光親と碁を打ったとき、稲葉一鉄が娘婿の正利に助言したため、光親は負けてしまいました。このことを遺恨に思った光親は天正6年8月18日谷汲で待ち伏せして討ち取り、正利以下14名の墓という説があります。 また天文17年11月30日から5日間、ここで牧野合戦が行われ長瀬城主鷹司政光に加勢した国枝氏は大将以下14人の重臣が討ち死にし滅びました。その死骸、馬、鎧などを十三に分けて埋めたものだと聞いています。またこの集落の人達が十三忌に供養した跡だとも聞いています。 場所‥揖斐川町谷汲 谷汲中学校北100m 案内人‥観光ボランティアガイド 遠藤喜代子さん |
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池田茶を拓いた人々2![]() |
‥5月22日放送 一番茶の収穫も終わり、さっぱり散髪が済んだような池田山麓の茶畑です。 池田に茶園が開かれた後、それまでの煎じ茶や炒り茶に替わって、茶葉を蒸して揉むという製法が編み出され、今西判左衛門はその製法を得るために、さまざまな策を練ります。宇治へ出かけ、俳歌師に変装し、雇い人と遊んだり酒食を共にし親しくなり製法を聞きだしたり、製法のコツを盗み出し、良質の茶の製造に成功しました。 五十川源左衛門はお茶の需要を開校したばかりの神戸港に求めました。国内のみならずアメリカやイギリス・朝鮮にもお茶を輸出しました。また茶業組合をまとめ、博覧会で受賞するなど茶の品質向上のため努力しました。 先人の意思は、親から子へと受け継がれています。 場所‥池田山麓 案内人‥観光ボランティアガイド 原美千代さん |
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池田茶を拓いた人々T![]() |
‥5月8日放送 新茶のシーズンを迎えた池田山麓です。 お茶の起源は、古代中国南部で原種が発見されたといわれています。 日本への伝来は、今から1400年前の奈良時代遣唐使がお茶の種子を持ち帰ったのが始まりです。平安時代には僧侶や貴族階級などの限られた人々だけが口にする非常に貴重なものでした。 鎌倉時代には栄西禅師が宋からお茶を持ち帰り、これが日本におけるお茶栽培の始めとなります。その後京都の明恵上人が京都で栽培、宇治茶の基礎を作り、全国的に広めていきました。 池田に初めて茶園を拓いたのは、六之井の庄屋・五十川兵治郎でした。宇治から茶師を招き煎茶をはじめて作り、年々増産していきました。製茶従事者の育成にも努め、お茶作りに貢献しました。西本願寺の宗主に銘茶「むつの井」を献上したところお褒めのことばを頂き感謝の和歌が下賜されました。 場所‥池田山麓 案内人‥観光ボランティアガイド 原美千代さん |
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温知小学校を創った人達![]() |
‥4月24日放送 新しく建て替わった温知小学校ですが、創立されたのは133年も前です。 明治6年戸長の原善介さんが、浄光寺で温知義校の名で開校したのが始まりです。寺の本堂だけではせますぎるので校長になった善介さん家と兵次郎さんの家 3ヶ所を仮校舎とし温知舎と名を変えて勉強を始めました。 そのうち子ども達が墨はこぼすは、障子はやぶるはといたずらに手を焼いた家からお断りがきて、新しい校舎を建てることになりました。集まった寄付金は二千円。建築は村民も生徒も総動員でした。明治7年10月温知小学校の最初の校舎です。明治24年濃尾大地震で消失したあと、現在の場所に温知尋常高等小学校が出来上がりました。 郡下で一番立派な石の校門は今でも残っています。地名でなく「温知」は論語からつけたり、苦しい生活の中から教育のためにお金を出し合ったり、尽力くださった先人に改めて感謝したいですね。 場所‥池田町本郷1267 案内人‥観光ボランティアガイド 国枝浩さん |
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霞間ヶ渓と三好学![]() |
‥4月10日放送 いま満開を迎えている霞間ヶ渓の桜は、昭和3年に国の名勝天然記念物に指定されています。その時内務省の調査官として霞間ヶ渓を調査し報告書を作ったのが当時東京大学教授で植物学の権威者であった三好学です。 山の谷川沿いに広がり景色が優れていることで名勝となり、天然記念物といえるのは、@江戸時代から続く桜の名所であること、A桜が純然たる山桜であること、B自然に群生したことからです。 三好は今後@ここに桜を植える際は山桜を植えること、A花と若芽が同時にでてきて美しいので、芽の色が赤・黄・茶色のうち赤をちりばめるように植えなさい。B背景が大切だがもっと山奥に山桜を植えればさらに美しい桜の名所になるだろうと言っています。 場所‥池田山ふもと 霞間ヶ渓公園 案内人‥観光ボランティアガイド 今西龍雄さん |
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観光ボランティアガイド連絡先 池田町役場産業課商工観光係 TEL 0585−45−3111 (内線 293・294) E-mail yakuba@town.ikeda.gifu.jp |
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