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庄右衛門さんと 山犬(やま) |
‥3月27日放送 むかし、下田畑が菖蒲池村と呼ばれころ、池田山には日本オオカミがいて「やま」とよんでいました。 大雪で餌もとれず、村に下りてきては鶏を襲うこともありました。 ある日の明け方、庄屋の庄右衛門さんの鶏を取ろうとした山犬は、堀井戸の中に落ちてしまいました。山犬と鶏の喚き声に驚いた庄右衛門さんは、夢中で山犬をつかみ上げ助け出しました。 山へ帰るように手で追いましたが、きょとんとしているだけで帰ろうとしません。仕方がないので庄右衛門さんが、ふもとの霞間ヶ渓の押出まで送ると、やっと帰っていきました。 それから2・3日後、家の前に山犬がいて、とった野うさぎをもってきました。 庄右衛門さんがうなずくと、山犬は喜んで帰っていきました。 「けものでも受けた恩は返すものだ」と村の人に話されたそうです。 案内人‥観光ボランティアガイド 牧村文男さん |
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宮地の熊野神社![]() |
‥3月13日放送 宮地の赤い大きな鳥居からが熊野神社の参道で、両側には桜並木が続いています。その奥にもう一つ鳥居があります。この熊野神社は、承平2年(932)に池田氏が池田山の権現の段に再興、康永2年(1343)土岐頼忠が熊野権現をはじめ、天神神社、八幡神社のほか梅桜寺等七宇の別当寺などを現在地に造り、参道も約500mもあったと伝えられています。 慶長5年(1600)の関ヶ原合戦の時、本郷城と共に消失してしまいます。その後大垣城主が再建しました。文化5年(1808)には大垣城主戸田氏庸(うじつね)が領内巡見として参拝と桜見物をされたといわれています。 まもなく宮地大門は桜の季節を迎えます。 場所‥宮地小学校の北 案内人‥観光ボランティアガイド 武田政夫さん |
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太郎ヶ城址![]() |
‥2月27日放送 土岐氏の家臣国枝大和守為助が文明年間(1469〜1487)頃にこの地に本郷城のとりで太郎ヶ城を築きました。しかし関ヶ原合戦で焼き払われてしまいました。その後は雑木林になりましたが、近隣の人たちが開墾をしこの地を開込(かいこみ)と呼んでいたようです。今ではそれが訛って皆米(かいごめ)となりました。田畑になってからは城があったことはすっかり忘れられていました。 昭和50年代に、「本郷の字絵図」から、この地に城があったことがわかり、確認のための平成7年発掘調査が行われ、堀と土塁の痕跡が見つかりました。 さらに平成17年温知小学校の改修工事を機に、2度目の発掘調査が行われ、堀を含めて南北108m東西88mの城あとが確認されました。堀の一部は温知小ランチルームの下にあり、床の色を変えて子ども達にもわかるようになっています。 場所‥温知小学校の北 案内人‥観光ボランティアガイド 遠藤喜代子さん |
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鯰押さえの市やま![]() |
‥2月13日放送 江戸時代の始め大干ばつが続き、困った村人達は雨乞いをしました。 満願の10日目激しい雷雨となり農作物は一気によみがえりました。村人は喜び3日3晩踊り狂いました。この雨で満水になった田んぼの上を、6尺(1.8m)もある大鯰が泳いでいました。「神のお使いに違いない」と大鯰を神前に供え、お礼参りを盛大に行ったそうです。 片山八幡神社の例祭には、二段構えの屋形の市やまを組み、笛とかねに合わせ、老人と鯰、獅子の三体の人形をあやつり奉納します。 市やまのやまという字は、車へんに山と書きますが、この市やまは、車の『一』がはずされています。これは据付式で曳くようになっていないからで、村の祖先が考えた「造り字」です。 場所‥池田温泉東 片山グリーンパーク内 八幡神社 案内人‥観光ボランティアガイド 原 美千代さん |
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禅蔵寺のお稲荷さん![]() |
‥1月23日放送 禅蔵寺本堂南側の赤い鳥居をくぐり100mほど上に「本宮尾白三光稲荷明神」があります。ご神体は「ダキ尼天」で京都の伏見稲荷本宮から証書を頂いている尊いお稲荷さんです。ちなみに須脇のお千代保稲荷は、行基寺住職の仲介で、森輔十郎氏が、お百度を踏みこの稲荷社の御分身を須脇へ持っていきお祀りしたものです。 場所‥池田山ふれあい街道沿い、願成寺古墳群の南 案内人‥観光ボランティアガイド 石田幸一さん |
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萩原の松原邸![]() |
‥1月9日放送 私たちは子どもの頃から「お大尽」とよんでいた大地主の屋敷があります。 今から300年ほど前から代々、名主庄屋と井頭役をつとめられた松原さんのお宅です。明治時代の当主芳太郎さんは、一生を政治家として活躍され、明治22年からは、県会議員・衆議院議員・貴族院議員など務められました。 その芳太郎さんのお孫さんと一緒に学校へ通っていた90代の方は、「みんなはかすりの着物で下駄をはいていったけど、松原さんは洋服で、雨の日は男集が人力車で迎えにきてみえて、特別やったけどみんなそれが当たり前とおもっていたんじゃ‥」長屋門の東側には男衆が住み、西側に馬小屋、母屋の西には書院、裏には茶室、北にはいくつもの蔵や隠居部屋、東には米蔵や養蚕の勉強のための学校もあったそうです。今は空き家になり、しだいに朽ちてきたのはもったいない気がします。松原家の資料は県歴史資料館に保存されています。 場所‥萩原地区のほぼ真ん中 案内人‥観光ボランティアガイド 窪田弘子さんと管理人の岡崎薫さん |
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観光ボランティアガイド連絡先 池田町役場産業課商工観光係 TEL 0585−45−3111 (内線 293・294) E-mail yakuba@town.ikeda.gifu.jp |
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