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萩原の善福寺


‥9月26日放送

 1100年前承和年間の頃、池田山山頂に創建されましたが、戦火のため焼け、池田山のふもとの草深にお寺を移しました。
 その後延宝年間の火災により、やむなく現在地萩原に移転しました。その後大正13年再び消失しています。幸いご本尊だけは火災をまぬがれ1100年の歴史を刻んでいます。その後10年かけて現在の寺が建立されました。
 御堂の中の虹梁(こうりょう)と丸柱は、私の実家(揖斐川町岡島)の屋敷から一週間かけて運ばれました。木の上では、えぼしをかぶった人が手踊りをし伊勢音頭で皆が綱をひっぱります。田んぼも畑もおかまいなしで一直線に引いたそうです。

 場所‥近鉄美濃本郷駅北100m

 案内人‥観光ボランティアガイド 松岡典子さん
片山の力石


‥9月12日放送

 明治中期から昭和始め頃まで、若い衆の間で盛んに力くらべが行われました。
おしめり休み、農耕休みにお宮さんに集まって楕円形の30貫を持ち上げて、その技と力を競ったものだそうです。重い石を担ぎ上げる人は誰と言うなく村中に聞こえて有名になりました。当時の若者達の鍛錬で一人前の男として通過儀式だったそうです。ときにはいたずらでとなり村のお宮の灯籠をこっそり移動させて自慢したそうです。ここ片山は、30貫(113キロ)と20貫(75キロ)の力石があります。つるつるの楕円形で簡単には持ち上げられません。このほか町内に13個ほど力石があるそうです。

 場所‥国道417号 八幡JAガソリンスタンド西へ元旭屋酒店10m西

 案内人‥観光ボランティアガイド 山本仁司さん
高畑(たかばた)遺跡



‥8月22日放送

 平成7年から県道・岐阜関ヶ原線ができる時、片山北の字高畑の発掘調査が道の幅14mだけ行われました。
 そこで奈良時代頃のお寺の塀(築地塀)が出てきました。瓦は両側に5枚ずつ並んでいて、塀の高さは2.8mあったことがわかりました。
一般庶民は竪穴式の住居に住んでいたこの時代に、立派なお寺を建てたのは出土品から見ても、壬申の乱で活躍した和珥部君手(わにべのきみて)の氏寺ではないかと思われます。
 県道の両側に広がる水田の下には、1,300年前の歴史を解明する大切な遺跡が眠っています。

 場所‥岐阜関ヶ原線、池田温泉東の信号付近

 案内人‥観光ボランティアガイド 今西龍雄さん
安産の神・源左衛門の宮

‥8月8日放送

 400年ほど前、池田郡小牛垣内村に高橋源左衛門という、博愛と義侠心に富み、人々に慕われた人がいました。
 源左衛門さんは「私が死んだら雷となって最も苦難とされるお産を助けてあげよう。その証拠としてどんな天気でもお葬式が出る前に必ず雷を鳴らせよう」と言い残しました。式当日には古今稀な雷鳴豪雨があり、それ以来安産の神・子ども授かりの神としておまつりされました。
 私も妊婦の時は、母に連れられてお参りしました。その頃は周りが鬱蒼としてキツネかタヌキが出そうなところでしたが、今は隣に近代的な工場もでき駐車場があり、源左衛門の宮は今も源左衛門さんの子孫が管理されています。

 場所‥小牛の神明神社南、アピ鰍フ東

 案内人‥観光ボランティアガイド 内田和子さん
名古屋六反国民学校
疎開学童の碑


‥7月25日放送

 北池野の龍徳寺本堂前に「疎開学童惜別の歌」の碑が建っています。
 昭和19年8月14日名古屋の六反国民学校の3〜6年児童316名が集団疎開しました。本部をこの龍徳寺におき、男子は池野西・東説教所、女子は龍徳寺と善福寺、光慶寺に分かれて生活し温知小学校で勉強しました。
 当時農家でも、米のない食糧事情の悪い戦時下でしたが、村の人たちは、名古屋から預かった大切な子供さんたちのためにと、食事の世話をしたり、お風呂を沸かしたり、一人一人が自分のできることをしたそうです。なかでも草相撲の大関だった「新さん」は食糧集めや薪運びなど仕事をし、良寛さんを思い出すほど、無類の子供好きだったそうで、この人のことを思い出さない人はまずないでしょう。
 昭和50年5月、当時のことを思い出し、疎開学童有志が感謝の歌碑を建立されています。

 場所‥北池野の龍徳寺本堂前

 案内人‥観光ボランティアガイド 石田幸一さん
民間信仰 庚申さん


‥7月11日放送

 江戸時代、60年に一度巡ってくる庚申年の庚申日の夜、人の体内に棲む「三し虫」が人が眠っている間に、その人の行状を天帝に告げ口に行き、寿命を縮めるといわれました。その災いから逃れるため庚申の日には、夜通し起きて日の出を待ちます。庚申日は年6回あり、6度の庚申の夜を無事勤めれば願いが成就すると言われました。供養塔の多くは庚申待ちをやりとげた講で造られました。 
 町内には上八幡・片山・六之井・萩原に庚申塔があります。
萩原では、今も初庚申の日の夕方お祀りしています。その後新年会をかねて食事です。昔は馬肉ご飯を炊いたそうです。

 場所‥六之井閻魔堂となり
 
 案内人‥観光ボランティアガイド 原美千代さん

観光ボランティアガイド連絡先
池田町役場産業課商工観光係  TEL 0585−45−3111 (内線 293・294)
                     E-mail yakuba@town.ikeda.gifu.jp
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