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雨乞い行事


‥6月27日放送

 昔、池田町西部の粕川一ノ井水区域は、600町歩の田んぼに水を入れていました。日照りが続くと水が細り、水の取り合いになりました。お百姓さんは神頼みで雨乞いをしました。
私の地区本郷皆米は琵琶湖の竹生島へ灯をもらいにいき、お宮さんの拝殿でお守りをし、村中総出でご祈祷をしていると2〜3日で恵みの雨が降ったそうです。
その後各家から太いカヤのたいまつをかつぎ、お宮の灯を移し杭瀬川に一斉に流したそうです。
 現在水田は、480町歩に減り、その内休耕が4割を占めるようになって、水に不自由することもなくなりました。
 
 撮影場所‥整備された本郷地区の杭瀬川

 案内人‥観光ボランティアガイド 遠藤喜代子さん 
近鉄揖斐線の歴史


‥6月13日放送

 近鉄養老線の一部、大垣から揖斐までの揖斐線が池田町を走っています。
 大正2年養老・池野間が開通、大正8年桑名と揖斐まで延長、大正9年に美濃本郷駅ができ、昭和29年北池野駅ができました。
 当初蒸気機関車でしたが、イビデンの電気を使うという事で大正11年から電車になり、西濃地域の経済、文化は大いに発展しました。
 駅前には貨物を積み込むホームがあり、米・小麦・お茶・小牛・炭も発送されました。また商人も集まり、はたご・運送屋さんもありました。
 しかし昭和41年には1日平均4万6千人あった乗降客が、いまは半分以下になり、存続が危ぶまれています。今私たちにできることは、電車を利用することに尽きると思います。

 場所‥近鉄北池野駅

 案内人‥観光ボランティアガイド 窪田弘子さん
二重塔を造った彫物師


‥5月23日放送

 舟子の平安寺には高さ5mほどの二重塔があります。
 これは揖斐川町の秋葉神社にあったもので、彫物師国枝桂助が塔のひな形として作ったものです。明治の神仏分離令により壊されることをきいた平安寺の和尚さんが引き取り、村の人が皆で運んできたそうです。
 段の弓削寺本堂にある極彩色の欄間も桂助の作でめずらしい16羅漢が三面あります。
 またおととし建て替えられた上田の八幡神社の彫り物にも、桂助の名を見つけました。

 場所‥舟子 ふれあい街道沿い

 案内人‥観光ボランティアガイド 国枝浩さん 
田畑と賀茂神社


‥5月9日放送

 池田町田畑は京都加茂神社の社領で、明治以前から田は長方形に区画整理されていました。田畑の賀茂神社は寿永元年に創建されました。以前村内にあった白山・御鍬・稲荷・神明・山神の各神社が賀茂神社に合祀され、拝殿の奥に祀られています。
 
 場所‥池田町田畑 

 案内人‥観光ボランティアガイド 牧村文男さん
「竹林翁」といわれた男


‥4月25日放送

 池田町出身の坪井伊助さんは天保4年(1843)庄屋に生まれ、多くの公職に就く一方、農業の改良、地元の発展に尽くしました。
 その中で竹の栽培・研究を行い、「竹林造成法」「竹類図譜」を発刊しました。
竹類図鑑は宮中に献上され天皇がご覧になった事が報道されると坪井伊助は竹の神様、竹林翁と呼ばれるようになりました。
 大津谷公園に顕彰碑が建ち、周りにはめずらしい竹が植えられています。

 場所‥大津谷公園 ふれあい街道の上150m キャンプ場脇

 案内人‥観光ボランティアガイド 五十川直靖さん
小寺城祉


‥4月11日放送

 池田山の中腹の桧林にある小寺城址(池田山城)は、急な斜面を登ると10m四方の平らな場所が2段、広い場所でも横20mほどの平坦地があってここに山城が築かれていたものと思われます。
 常時人が生活していたものではなく、いざという時にこもって戦う場所だったようです。
 稲葉塩塵が寛正年間(1460〜1466年)に築いたと伝えられています。

 場所‥小寺の安国寺北100mの池田山ふれあい街道沿いに看板あり、そこから山へ400mほど登ると、堰堤があり(写真の場所)ここから100mほど山を登ります。 
 
 案内人‥観光ボランティアガイド 武田政夫さん

観光ボランティアガイド連絡先
池田町役場産業課商工観光係  TEL 0585−45−3111 (内線 293・294)
                     E-mail yakuba@town.ikeda.gifu.jp
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