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鯰押さえの市やま


‥2月13日放送

 江戸時代の始め大干ばつが続き、困った村人達は雨乞いをしました。
満願の10日目激しい雷雨となり農作物は一気によみがえりました。村人は喜び3日3晩踊り狂いました。この雨で満水になった田んぼの上を、6尺(1.8m)もある大鯰が泳いでいました。「神のお使いに違いない」と大鯰を神前に供え、お礼参りを盛大に行ったそうです。
 片山八幡神社の例祭には、二段構えの屋形の市やまを組み、笛とかねに合わせ、老人と鯰、獅子の三体の人形をあやつり奉納します。
 市やまのやまという字は、車へんに山と書きますが、この市やまは、車の『一』がはずされています。これは据付式で曳くようになっていないからで、村の祖先が考えた「造り字」です。

 場所‥池田温泉東 片山グリーンパーク内 八幡神社

 案内人‥観光ボランティアガイド 原 美千代さん
禅蔵寺のお稲荷さん


‥1月23日放送

 禅蔵寺本堂南側の赤い鳥居をくぐり100mほど上に「本宮尾白三光稲荷明神」があります。ご神体は「ダキ尼天」で京都の伏見稲荷本宮から証書を頂いている尊いお稲荷さんです。ちなみに須脇のお千代保稲荷は、行基寺住職の仲介で、森輔十郎氏が、お百度を踏みこの稲荷社の御分身を須脇へ持っていきお祀りしたものです。

 場所‥池田山ふれあい街道沿い、願成寺古墳群の南

 案内人‥観光ボランティアガイド 石田幸一さん
萩原の松原邸



‥1月9日放送

 私たちは子どもの頃から「お大尽」とよんでいた大地主の屋敷があります。
 今から300年ほど前から代々、名主庄屋と井頭役をつとめられた松原さんのお宅です。明治時代の当主芳太郎さんは、一生を政治家として活躍され、明治22年からは、県会議員・衆議院議員・貴族院議員など務められました。
 その芳太郎さんのお孫さんと一緒に学校へ通っていた90代の方は、「みんなはかすりの着物で下駄をはいていったけど、松原さんは洋服で、雨の日は男集が人力車で迎えにきてみえて、特別やったけどみんなそれが当たり前とおもっていたんじゃ‥」長屋門の東側には男衆が住み、西側に馬小屋、母屋の西には書院、裏には茶室、北にはいくつもの蔵や隠居部屋、東には米蔵や養蚕の勉強のための学校もあったそうです。今は空き家になり、しだいに朽ちてきたのはもったいない気がします。松原家の資料は県歴史資料館に保存されています。

 場所‥萩原地区のほぼ真ん中

 案内人‥観光ボランティアガイド 窪田弘子さんと管理人の岡崎薫さん
六之井の妙勝寺


‥12月26日放送

 本堂左手のお堂には岐阜県の重要文化財に指定されている「木造聖観音立像」が安置されています。
 延喜9(909)年に寺が創建、その後二度の災難にもかかわらず観音様は無事でした。だから「厄除けの観音さま」といわれています。
桧材の寄木造りで漆が塗られています。蓮の華を持ち、温和な顔立ちで、高さ101cm台座56cmとほぼ私達と同じ身の丈で、大変親しみのあるやさしい雰囲気の仏様です。しかし秘仏のためご開帳は、1月18日と8月18日のみです。

 場所‥池田小学校の東の「東川」を南に500m西側

 案内人‥観光ボランティアガイド 五十川 直靖さん
古代片山のロマン


‥12月12日放送

 池田町の最も古い時代の遺物の一つは、片山の八幡神社北の水田から見つかった有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)とよばれる石器で、槍の穂先や物を切り裂くのに使われたと考えられます。1万年〜1万2千年前にはすでにこの地域に人が住み始めたと推定できます。
 また縄文時代晩期の遺跡も見つかり、近畿・北陸地方と活発な交流の中から資源を調達し、生活を支えてきたことをうかがい知ることができます。
 池田町で最も古くから人が居住した片山地域は、古代人の生活の様子を私たちに教えてくれる貴重な所なのです。

 場所‥片山グリーンパーク内 八幡神社北

 案内人‥観光ボランティアガイド 吉田稔さん
ブルドーザーを止めた松


‥11月28日放送

 むかし下東野の村はずれの田んぼの中に、「東野の一本松」とよばれる高い松がありました。昭和40〜50年代、圃場整備が始まり田も道も作り直すことになり、この松も伐り倒すことになりました。しかし昔から「この松を伐るとたたりがある」と言い伝えられ、誰も触れようとしません。仕方がないので松の周りだけ残して工事が進められました。
 そのうち松は自然に倒れ「ブルドーザーに立ち向かう姿は、まるで弁慶の立往生のような最期やったなぁ」と村人は供養のため二代目の苗木を植えました。
 ふしぎなことにこの木は、何年たっても成長せず、いまだに1mほどの高さです。松の精が村の衆を困らせないように辛抱しているようですね。

 場所‥下東野 県道池田神戸線沿いの西 田んぼのなか

 案内人‥観光ボランティアガイド 国枝浩さん
舟子の盛飯祭


‥11月14日放送

  私が子供の頃、舟子の子達は12月のある日「今朝はみんなで、白いご飯を大人と一緒に、お腹いっぱい食べてきたよ」と自慢するのでうらやましかったんですよ。
 白米がぜいたくな時代から舟子には、田の神様に感謝する火焚きまつりと盛り飯まつりが伝わります。
 毎年12月15日ここ火焚きの宮で火祭りをし、わらを燃やしイワシを焼きます。翌16日は盛り飯祭り、食べても食べても、飯椀にこぼれるほどのご飯を盛り、もう食べられないとなったら、茶碗(シャッポ)をかぶせ終わりとなります。
 年に一度のぜいたくな祭りは、今年も12月15日16日に開かれます。

 場所‥舟子地区北部 萩ヶ谷神社(火焚きの宮)

 案内人‥観光ボランティアガイド 内田和子さん
下東野の市山からくり花火


‥10月24日放送

 毎年9月15日 下東野の神明神社か東野神社でお祭りのとき奉納されます。
 置山の上でおやま市など3体のあやつり人形が演技をしたり、境内いっぱいに仕掛けられたからくり花火が、交互に展開し、優雅さと華々しさがおりなす一大絵巻を見せてくれます。
 平成4年岐阜県重要無形民族文化財に指定されました。
 この伝統芸能を伝承するため、子ども達にも横笛や人形の扱いを教えています。下東野区のほか池田小学校にもクラブがあり、お祭りだけでなく、11月に教育研究発表会でも披露されます。このため現在、あやつり人形は池田小に貸し出され、地元の河村さん(写真左)の指導で練習にがんばっています。

 案内人‥観光ボランティアガイド 丸山文子さん
上八幡の七つ塚


‥10月10日放送

 承久3(1221)年「承久の乱」のおり、久瀬川の戦いで戦死した人達を村人達が丁重に葬った墓(塚)がこの七つ塚です。この頃の揖斐川は杉野から金生山麓に向って流れ、承久の乱が起きた頃の揖斐川はこの辺りを流れていたようです。
 田んぼの中に直径4〜5mの土を盛った塚が点々と7つあり、村人達は「七つ塚」と呼んでいました。今は耕地整理が行われ小さな塚が2つ残っているだけでそのあとを伝える石碑が建っています。
 田んぼの中にひっそりと建つこの小さな石碑にも、古代の勇壮なロマンが秘められているのですね。

 場所‥八幡のメガマートの信号東約500m 田んぼの中 鉄塔のそば

 案内人‥観光ボランティアガイド 吉田稔さん

観光ボランティアガイド連絡先
池田町役場産業課商工観光係  TEL 0585−45−3111 (内線 293・294)
                     E-mail yakuba@town.ikeda.gifu.jp
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