宮地風景No10 熊野神社 大門参道雪景色
- 熊野神社の赤い大鳥居を東望した景色を描いてみました。神社の境内の石段の上から眺めた構図で、参道を白く染めた雪景色です。アーチ状に重なった木々の枝に、雪が積もりとても幻想的な趣で、白い雪のトンネルのように見えました。雪の白さと参道の厳かな雰囲気が早朝の冷気ととともに心に凛とした張りを感じさせる一時でした。
宮地風景No9 学校東の宮地南地区より池田山を仰ぎ見る風景
- 宮地南地区より学校越しに池田山を仰ぎ見る風景を描いてみました。池田山からのなだらかな丘陵地に位置する宮地小は、標高68mで町内の他の学校より4,50m程高い場所にあり、今年も雪の多い冬になっています。かなり勾配のある坂道。左右に電柱が額縁のように立っている中央に、存在感ある池田山が大きく横たわっているこの景色が印象に残り描いてみました。
宮地風景No8 舟子、「平安寺」風景
- 宮地小校下、舟子地区の「平安寺」を描いてみました。「平安寺」は平安時代後期(11世紀)の頃、白河法皇が谷汲山参詣の折、発病されました。その時谷汲観音の夢のお告げがあり、昔の弓削寺(平安寺の南、その当時はもっと山に近い位置)にわき出ていた温泉で湯治し快癒したので、その近くに「平安殿」を建て、大般若経を書写し奉納したのが始まりといわれています。濃尾平野を見下ろす池田山の山腹に建てられた「平安寺」は美しい樹木に囲まれ境内の二重の塔など美しい景観を示しています。宮地小学校の児童も遠足で訪れ、座禅経験を行うなど大変お世話になっています。
宮地風景No7 熊野神社鳥居前を北にのびる道路のある風景
- また縦構図の絵を描いてみました。No.4の熊野神社鳥居風景の石段の上は実は南北にのびる宮地の生活道路になっています。そのことも珍しいなと思っていましたが、鳥居のすぐ向こうにお寺の鐘楼があることも不思議に思っていました。かつて近くに梅桜寺さんというお寺の本堂があったそうで、立派なご本尊はすぐ東の宮地会館川柳院に安置されているそうです。鐘楼のすぐ西にある建物もかつての宮地保育園だそうです。遠く北の山々を道のかなたに眺める美しい構図の風景です。
宮地風景No6 宮地、熊野神社への参道登り口を西へ望む風景
- No.5の「道かぶりの桜木」を東側から西望した風景です。毎朝、宮地地区に入るための私の門のような存在の木です。「あいさつで こぼれる笑顔の 宮地っ子」の大きな立て看板が道路左側に屹立し、宮地小学校の教育目標「笑顔がかがやく 宮地っ子」と「笑顔」で共通していることが、地域ぐるみで子どもを育てようとする願いがこもっているようで力強く感じます。熊野神社へ向かう参道への入り口ともいえるこの場所は、わたしの宮地小学校での生活のあらゆる意味での出発点とも言える風景です。
宮地風景No5 宮地、熊野神社への参道登り口を東へ望む風景
- 初めての縦構図のペン画を載せてみました。遠景に小さく見えるのは国道417号線付近の建物です。熊野神社からいっきに参道への入り口付近の景色へと戻ってみました。私が大野町より宮地小学校へ通勤する道です。毎朝、中央に見える「道かぶりの桜木」と私が呼んでいる木の下をくぐってN0,1からNo4までの風景を眺めながら通っています。道路右側には桜並木が赤い鳥居まで続いており、春の桜の季節にはその華やかさはいかばかりかと推察していただきたいと思います。夏の日差しの中のこの景色にも私たちが記憶の中に残している懐かしさをあらためて思い起こさせる風景です。
宮地風景No4 熊野神社の境内を望む風景
- いよいよ熊野神社の石段と石の鳥居を見上げる位置まで来ました。宮地小学校と熊野神社の深い縁(えにし)を学校沿革史から紐解いてみました。
- 明治10年12月(1877) 公立栄盛学校として宮地梅原寺付近に人家を仮にあてて開設。
- 明治19年8月(1886) 公立宮地小学校と改称し、10月さらに宮地尋常小学校と改称。
- 明治24年10月(1891) 濃尾大震災にて校舎大破、熊野神社で授業を行う。
- 明治26年5月(1893) 熊野神社境内に校舎新築
- 昭和12年3月(1937) 境内内の現校地に新築移転する。
- と言うようにまさに「宮地小学校」と言う校名のとおりの縁を感じますね。広い重厚な境内に入ると、身も心も引き締まる思いがします。